記事の修正・リライトは、戦略的に方針を持って行うべきですが、ブログの校正は「音読」するだけにしています。大好きなブロガーさんの影響を受けて、プリンターを買って校閲・校正をしていたこともありますが、3つの理由で止めました。

ブログの校閲と校正の違い

まず、校閲というのは、文書の内容の誤り、矛盾点、読みやすさ、目的に合う内容になっているか?などを確認するステージで、英語でいうところの「Copy editing」に近い概念でしょうか?

これはブログ記事の修正やリライトなどと呼ばれる概念に近く、「孫氏の兵法をブログ運営に当てはめてみた」に書いたように、戦略的にじっくりと行っています。

一方、校正とは、最終的な文章の誤字・脱字・文法的な誤りなどを直すProofreading」の様なステージです。

これは単なる間違い探し。でもやってみると奥が深くて、しかも細かいところが気になりだし、そしてなかなか終わらない…

尊敬するブロガーさんのマネをして「校閲・校正」を始めたものの、「校閲」と「校正」の過程は上記のように別物なので、私は「校正だけ」をするようにしたのですが、これもイマイチでした。

「校正」で跳ね上がる満足感

プロの校正は、徹底的に間違いを直します。私もネットに落ちている「校正のしかた」などを参考に、印字して、赤文字を入れて、修正して、再度印字して、再度赤文字をいれて、再度修正して…

誤字・脱字だけではなく、適切な助詞、副詞の位置、句読点の規則、などなど、国文法の勉強になりました。

日本語のお見本文でも作っているかの如く、間違いが見つからなくなるまで修正していました。

完成度と共に満足感が高まります。

ところがね、数か月経ってから読み返すと、何か違和感が…

書籍とインターネットの文章の違い

昔は、話し言葉と書き言葉はまったく別物で、書籍は一段落が大きな塊になっていましたし、段落の間にスペースが空くことは無く、改行後、一文字分空白があるだけでした。

インターネット上の文書は、画像を添える、段落を細かく分ける、改行をふんだんに入れる、1つの塊を3文程度に抑えるなどなど、読みやすさを重視したアドバイスをよく見かけます。

画像や空白がふんだんにあっても紙の量が増えるわけではなく、分厚くも、重くも、高額にもなりません。冊子体の物理的な制約がないインターネット上の文章は、本来の読みやすさを存分に追求することができるのです。

これを紙に印刷すると、妙にスペースが空いていたり、改行しすぎていたり、不自然に感じるから不思議です。

媒体が変わることで印象が大きく変わる事にビックリ。ブログ記事は印刷しない方がいいなと思った一つ目の理由です。

正確すぎる日本語と読者との距離

私は正確性を気にしすぎたのでしょうね。

印刷して校正した記事を数か月後に読み直すと、とても他人行儀でおりこうさんな書き方になってしまっていました。私じゃないみたい。

ブログを書いている時は大抵「まったり」しているのに、文章から「まったり」した感じが出ていません。

校正していない過去記事は、「まったり」しているというか、「テキトーでユルイ」感じが出ています。

校正した記事は読んでくれた人が「まったり」となる要素がないね。
こりゃだめだ。
っというのが、2つ目の理由です。

話しかけるように書く

ブログの書き方のテクニックとして読者(個人)に「話しかけるように書く」というのがありますが、テレビの様に「皆さん」向けではなく、「あなた」に向けて書くことができるというのは、ブログ記事の長所です。

ブログの強みを活かし、個人に話しかける感覚で書けているのか?

音読してみるとよくわかります。

「話す」と「書く」は脳の別の領域を使う作業だそうですから、「話しかけるように書く」のが難しくても不思議ではありません。

プレゼン資料の読み原稿を書いた後、音読したら読みにくくて、修正することってありませんか?

あんな感覚です。

読んでいる途中で誤字・脱字も発見できますから、私は音読するだけで、校正をするのは止めました。

「まったり」感のある自然な日本語になって、おススメ。

投稿者: のろのろ

ブログのカスタマイズをしては、備忘録を書いています。2017年4月にワードプレスデビューし、試行錯誤しながら寝落ちする感じのへなちょこブロガーです。

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