「足るを知る」を「余分なモノを排除すること」と関連付けるミニマリストに少々違和感を感じました。

お金を貯めようとする行為も、作為的で満足していない証なので、貯金記事と絡めて書かれると、やはり違和感が残ります。

「足るを知る」

老子の道徳経の「足るを知る」という言葉は、様々なところでよく引用されていますけど、一応原文↓

道徳経、33弁徳より引用;

知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。知足者富、強行者有志。不失其所者久、死而不亡者壽。

(私の意訳)
人を知る者は見識高く、自分を知る者は賢い。
人に勝つ者は力があり、自らに勝つ者は強い。
足るを知る者は豊かであり、頑張る人は志がある。
自分の居場所がある人は長く安らかで、死んでも偉業が残る人こそを長生きという。

「足るを知る」(=満足する)ことができる人は、豊かであると解釈しています。

それに老子の根底を流れる「無為自然」を重ね合わせると、作為的なものはすべて「足るを知る」から外れているような気がしています。

しかし、これは飽くまで私の解釈です。

ミニマリストは努力している

個人的に、ミニマリストブログが好きな理由は、努力家が多くて、心打たれるところ。

スッキリ好きなモノだけに囲まれて暮らしたいと、理想の自分、理想の環境を目指して、ストイックに努力している人たちが多く、尊敬しちゃう。

(残念ながら、本当にぐうたらな人の記事は、人気が出ないから、見かけない…)

老子は、世捨て人だから、こういう努力家とは一線を画している気がします。

そして、この努力家たちが、

(無為的な)「満足していると心豊か」を、(作為的な)「心豊かになる為に満足レベルを下げる」

っと解釈して、さらに努力を重ねる姿勢であることに、まったくもって恐れ入ってしまいます。

「足るを知る者は豊かであり、頑張る人は志がある。」の後者の方。

前者の方なら、汚部屋だろうが、貧乏だろうが、現状に満足していれば、ストレスはなく、それこそが「豊か」というイメージなんですよね。

というわけで、「ミニマリスト」と「足るを知る」は対極にある気がするのですが、いかがでしょうか?

最後までお読みいただきありがとうございます。

投稿者: のろのろ

ゲーマーで、トレッキーに片足突っこんでいる、SF好きの、雑記ブロガーです。

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